平成 某 年12月31日 母から声が掛かったぞ 其の1 ( 義母の策略 ? )
ある年の暮れに義母から声が掛かった。
「蕎麦を打つから手つだってくりょ~」
我が家の年越し蕎麦は毎年義母が打ってくれた蕎麦を、ただで美味しく頂いていただけである。
年越し蕎麦は義母が持ってきてくれるものだと決め付けていたので突然のお声掛りはびっくり仰天であった。
「えっ????蕎麦打ち~、そんなことやった事ないよ」。
困惑顔の僕を見て「大丈夫だよ教えるから」と義母。
僕は内心「出来ればやりたくないな。」「楽してお蕎麦が食べられれば良いな」とずるい考えが脳裏をかす
めた。その気持ちを鋭く察知したと思われる義母の口から出た一言。
「いや~最近腰が痛くてね~蕎麦が打てないのよ~」
の一言で「楽してお蕎麦を食べたい」という気持ちは一瞬に吹き飛ばされてしまった。
「えっ!腰が痛いの、そりゃ大変だ」
僕も腰痛とは二十年来のなが~いお友達なのでその辛さは分かっている。
しぶしぶ「良いですよ、蕎麦は大好きだから手伝います」
と心にも無いことを言ってしまった。この一言がこの後十年以上にわたる蕎麦打ちをすることになろうとは
神ならぬ我が身には分からぬことでした・・・・・・・・
平成 某 年12月31日 母から声が掛かったぞ 其の2 ( 隠 し 味 )
大晦日の今日は朝から天気が良い富士山もクッキリと美しく雄大な姿を見せている。大掃除は昨日までに全部修了したので
今日一日のんびりとテレビとお友達になろうときめた。居間の炬燵の上にはミカン、お菓子、お茶などを準備してゴロリと横に
なり体勢を決めミカンに手を伸ばした時に義母からお声が掛かった。
あ~っまだミカンも食べていない、お茶も飲んでいないのに後に残すそれらに未練を残しつつ僕は居間を出た。
義母はさっさと実家に向かって歩いている、元気だ「腰、痛くないのかな」と思いつつ後に続く、あまり気が進まないのでゆっくり
歩くそれでも時間稼ぎにはならない、僕の家と実家までは徒歩3分の距離であるのですぐに到着した。
実家は昔ながらの農家の造りであり玄関に入ってすぐ土間がある約幅1間、奥行き5間、土間を挟んで左右に居間や客間など
部屋があり居間の東側には半間幅の広縁がありすでにそば粉、伸し台、こね鉢等の「蕎麦打ちの準備」ができていた。
ここまで来たらしょうがない覚悟を決めよう。義母に声を掛けた。
「義母さん何からやる~」
何故か声がひつくりかえった
「あ~っそれじゃ粉を混ぜてくれ」
義母は準備をしていたそば粉1.5kgと小麦粉山芋(同量くらい)をこね鉢(金たらい)に入れた。それと生卵を4個を無造作に入れた
後に僕に渡した。義母は自分の分を準備してから。
「さあっ、始めよう、まねして」
義母は手際よく粉を混ぜだした。粉を右から左へ、上から下へ、中央から左右へ上手に粉をこね鉢の中で混ぜている、まるで粉を
上手に遊ばしているように見えた。
「何だ簡単そうだな」
手際よく粉を混ぜている義母を見てこね鉢に手を入れた。何かふわっとした感触を感じつつ粉を混ぜだしたが、
「あれっ 何か違う」
義母のまねをして粉をまわしたが上手く混ぜられない、其のうち山芋のヌルヌルの感触も手に伝わってきた。一生懸命粉をまわしていた
がこね鉢の中で粉が移動しているだけで山芋が付いた部分だけ蕎麦玉になつている。
悪戦苦闘している僕を見て義母が変わってくれた。義母のこね鉢を見るといつの間にか蕎麦玉が綺麗に出来上がっていた。手際よく
義母はそば粉を混ぜ終わりそこに水を加えた。
「さあっ こねてくれ」と義母
加水したそば粉を混ぜだしたけれど上手くいかない、いくら混ぜてもそば粉がまとまらないのだ。これは水が足りないのだと思い水を加えた
「うわっ 粉が手に付いてきた。」
水を足しすぎて粉がまとまるどころかベトベトになりこねればこねるほど粉が手にまとわり付いてきて手のひらや指の間やらそば粉だらけ
。手に付いたそば粉を手をこすり合わせて落とそうとしたが糊状態になったそば粉は手の上で伸びるだけでなかなか落ちない、そんな僕を
見て義母が手を貸してくれた。そば粉を少しづつ足しながら粉を混ぜこねていくと、なんとベトベトだつた粉がまとまり大きな団子になってきた。
僕はそのこね鉢を受け取つた、いよいよ(こね)の作業になるのだが僕の手はそば粉が固まり状態のままなので手に付いた粉を落とすことにした。
手のひら、手の甲、指の間と手をゴシゴシとこすり合わせてそば粉を落とす半乾きのそば粉は面白いように落ちていく、しばしその作業に没頭
すること数分、僕の手からそば粉が綺麗に落ちて手は赤くなっていた。綺麗になったその手を見つめていると何か気に掛かる手が洗った後み
たいに綺麗になっているということは!!そば粉と手の汚れを一緒にこすり落としてしまったのでは!!。
「うわっ やばい」
作業に入る前に手を洗っていなかったことを思い出した。こね鉢を覗いてみると蕎麦玉の上には満遍なくきな粉をまぶしたようになっていた。
さ~どうしょう、まぶした粉を取るわけにもいかず思案30秒、捨てるのは勿体無い、決めた。
「♪♪ え~い 混ぜちゃえ・混ぜちゃえ・み~んな混ぜちゃえ ♪」
混ぜながら何故か僕の頭の中では山本リンダの(こまっちゃうな)の歌が鳴り響いていた。
こねの作業は思ったより力仕事で大変だった。蕎麦玉を伸ばし、そして折りたたみんで伸ばすの作業を2~30分も続けたかと思ったが実際は
10分くらいであった。なれない仕事なので要領が良く分からない義母は隣でセッセと蕎麦をこねていた。
まねをしながらこねていると蕎麦玉の上にポタポタと汗が落ちてきた。気が付くと顔中に汗が噴出していた。その日は天気がよかったせいで広縁
はガラス越しの日差しをまともにに受けていた。
[暑いな~ あれっ今度は汗が入っちゃったよ、まいったね~]
どうしょうかな~思案5秒、決めた。
「♪♪ え~い 混ぜちゃえ・混ぜちゃえ・み~んな混ぜちゃえ ♪」
この時も僕の頭の中では山本リンダが歌いながら踊りまくっていたのは確かである。何故か鮮明に覚えているが、なぜ山本リンダなのかは今
でも分からない・・・・・?
何とか苦労のすえ(こね)の作業を終わらして次にすすむ蕎麦玉をのし板の上でのし棒を使って平たく伸ばす、たたむ、斬ると進んでゆくがなにせ
要領が分からずそのたびに義母の手をわずらわせている、これでは手伝いに来たのか邪魔をしに来たのか分からない。見よう見まねで何とか
終わらしたが何故か疲れた、腰も痛い、肩も重い、蕎麦を打ち終えたという達成感もない、そりゃそうだほとんど義母が手伝ってくれたのだから
当たり前か・・・何か情けなくなってきた。後かたづけが終わりかえる時に義母から声が掛かった。
「今日はありがとう、助かったよ」
といいながら今日打ち終わった蕎麦を手渡してくれた。義母は毎年こんな苦労をして蕎麦を打ってくれていたのかと思うとありがたみと申し分け
なさがズ~ンと胸にこたえた。家に帰り妻に終わったよといいながら蕎麦を手渡す。
「どうだった?上手に出来た?」
ニコニコ笑いながら尋ねて来る妻に。
「うん蕎麦打ちは難しかった、大変だった、腰が痛いよ」
「そお 大変だったね、ご飯が出来るまでねゆっくり「休みな」
ゆっくり休みなの命令口調が少し気になったがいつもの事か、居間の炬燵に入る、炬燵の上にはお茶、ミカン、お菓子がそのままの位置で
僕の帰りを待っていてくれた。お茶はさめていた。
「あ~ぁ疲れた」
そのままゴロリと横になる
「ご飯できたよ~皆おいで~」
妻の声で目が覚めた夜8時になっていた。台所で家族5人集まり食事となるがテ-ブルにはてんぷらや煮物と大晦日なのでメインは僕の
打った?お蕎麦である。妻と長女は温蕎麦で僕と長男次男はざる蕎麦と好みは違う。この地方のそばは太く短い蕎麦でつるつるとした喉越し
は楽しめないが山芋の味が利いて実に美味しい。妻や子供たちは美味しい美味しいと言いながらお変わりをしていたが僕はあの隠し味が
利いた蕎麦だなと思うと何故か箸が進まなかった。儀父母や義弟もこのおそばを食べているかと思うと少し罪悪感を感じていた。
「皆ごめんなさ~い」
と心でわびてせめての罪滅ぼしにこの蕎麦を食べようとお替わりをしようと思ったがやめた。今日一日散々な日だったと思ったがそれは違う
、散々だったのは隠し味の利いた蕎麦を食べさせられた実家の人達と我が家の者たちでした。
「再び皆さんごめんなさ~い」
平成22年3月22日の本日その日のことを懺悔します。もう10数年前のことだからもう時効だね。
「ゆるしてね皆さん」
僕は思った。今まであんなに苦労して蕎麦を打ってくれた義母に感謝してこれからは僕が蕎麦を打とう。
御殿場で打つ蕎麦は山芋をたっぷりと入れた(山芋蕎麦)が多い、別の地区では山芋を入れないところもあるが、実家の地区では山芋を入れて
打つ。味はよいが太く短い。僕は蕎麦は細く長いものが好きなのでこれからは山芋蕎麦の細く長いそば打てるように練習しょうと思い立った。
「あの隠し味」ではない本当に美味しい蕎麦を皆に食べてもらうぞ。
次回は本格的に蕎麦打ちに取り組んだのはよいが、悪戦苦闘、涙と汗の(ここでも汗かい)奮戦記をご期待下さい。
平成某年 そば打ち楽し
昨年のこともあり、我が家のそばは僕が作ろうと決心した。僕は何事にも{形}から入らないと気が済まない。そば打ちを始めるからには
基本を知らなければならないとそば打ちを教えてくれる教室を探した。御殿場市内にそば.打ち体験をさせてくれる「匠の里」がある、早速申し
込みをして体験をした。当日は僕の他に二組がいてそれぞれのテ-ブルにはそば粉、ツナギ粉、こね鉢、水、等すべて準備されていた。
早速そば打ちを指導してくれるお姉さんがそば粉の混ぜ方、水を入れてからの水回し、こね方の順に実演をしてくれる。僕らはそれを見ながら
真似をすると直ぐに来てくれてこの行程を終わらせ次のに進む。早い、とにかく早い全行程こんなものであまりにもあっけなく終わってしまった
初めてにしては上出来ねそば打ち体験楽勝、満足して帰路に就く、しかしながら気になることがある
何故あんなに急がせたのか ??? もう少しゆっくりと教わりたかったな・・・・・・・・・何故か
この疑問が理解できたのはづっと後の事でした。ともあれ何とかそば打ちの基本は学んだので後は数を打つのみです何事にも形から入るのが
僕の流儀なので早速にそば道具専門店で道具一式をもとめたそば包丁は奮発して本鋼の特上品を求めた早速に次の休みの日からそば打ちを
始めた。
そして家族にとってありがた迷惑の日が続くことになる、僕はそば打ちが楽しくてしょうがなかったので家族の思いは全然分かりませんでした。
少しづつ蕎麦らしくなってくると友人たちに配り上手く出来た。とひとり悦に言っていたのですがなんの反応がないので何故かしらとおもいつつ
数ヶ月後のある日の夕食の時に娘が放った一言に天国から地獄に突き落とされたようなような衝撃が僕を襲ったのです。
「お父さんのお蕎麦は食べるのにスプ-ンがいるね。」
ええええええっスプ-ン??????、スプ-ンがいるって!!!!!!!!何てこと言うの・・・周りを見渡すと妻や他の子供たちは何も言わないがなんとなく娘の
言う事に同意しているように見える。確かに冷たい蕎麦は少し短かめだが何とか箸で掴めるが掛け蕎麦にするとぶつぶつと斬れてしまい娘の
言う通りスプ-ンで掬くわなければ食べられない、この言葉を聞いて友人たちが何も言わない理由が分かった。優しい配慮をしてくれていたのだ
、これでしばらくは蕎麦を打つのを止めることになった。
次の日に本屋に出かけ蕎麦打ち入門、初心者向け蕎麦打ちなる本を数冊購入する、もう一度基本を学ぼう、この日を境に手打ちそばを打つ
店を探しての蕎麦喰い行脚が始まる静岡県東部、神奈川県箱根、小田原と有名店で蕎麦を食べまわる、地元の蕎麦屋さんを探して気に入った
何軒かのお店を見つけて通い続けた。そのうちの一軒は朝5時から蕎麦打ちをする。店のガラス越しに中が見えるので手順を見る、翌日そして
翌々日も見学にいく三日目に店主が「『中で見な』と言って入れてくれた別に説明をしてくれるわけでもなくただ黙々と仕事をしている、それでも
間近で仕事が見れるので嬉しかった。
そんな調子で2~3年すぎて他の店にも通いつづけた。お店の人とも仲良くなっていくとご主人がわさわざ出てきてくれて
「今日はいつもと違うね」といってきた
この店の蕎麦は細い、並みの細さではない素麵のような蕎麦だがコシもありのど越しも独特で実に美味しい、この店ではずつとザル蕎麦しか注文
していないのだが今日はザル蕎麦の他に麺がどんな感じか気になっていたので掛け蕎麦も注文をしてみたが美味しかった。
「そうですね温かいお蕎麦も食べたくなって」と応えたら
「そうゆう注文されると緊張するよ」と笑っていった
ちょうどお客も僕だけになったのでご主人と楽しい蕎麦談義となった。
僕の蕎麦打ちも以前ほどではないがつづけている、しかしどうしても上手にできない悩んだ末にご主人に相談したのがこの年の暮れでご主人に
大変お世話になる事になりました。色々と悩み事を聞いてもらっていたが。
「話だけではわからないので今度店で蕎麦を打つて見せてくれ」と言われて驚いた。
「良いんですか」と聞き返したら
「見なければ分からないから良いよ」との事
暮れの忙しいときに僕の蕎麦打ちを見てもらうことになった。いつもの手順で蕎麦打ちを始める最後の切りまでを見てもらった、ご主人は終わるまで
一言も言わなかったが最後にアドバイスをくれた。
「手順は良いよ、次のことが気になったから言うよ」
「水回しは大事な行程だが水回しに時間掛け過ぎ」
「水回しに気をとらわれて粉回しが疎かになっている」
「のしに時間が掛かりすぎ」
「切りも時間が掛かりすぎ」
「丁寧にすることは良いが丁寧過ぎて全般に時間が掛かりすぎ、蕎麦が風邪ひくよ」
ご主人曰く蕎麦が切れるれる原因の一つは時間の問題、蕎麦をゆでるときに蕎麦を湯に入れて直ぐ箸をいれてかき回すのは駄目とその他に
プロの貴重なアドバイスをいただき十分に参考になりました。
ここでやっと理解ができた、数年前に蕎麦体験に参加した時に何故あんなに急がせたか素人ゆえに時間が掛かりすぎていたので、蕎麦を風邪引
かさないようにお姉さんがさっさと作って呉れていたのだと、思い返してみるとあの時は僕らは各行程の最初だけチョコチョコといじっただけで後は
お姉さんが全部やってくれていた。それを自分が打ったと思っていたとは恥ずかしい今思えばスタ-トから間違っていたなと反省しきりです。
アドバイスをいただき新たな気持ちで蕎麦を打ってはいるが何年たっても元来が不器用ゆえ未だに納得のいく蕎麦を打てないでいる色々とやる
ことも多く蕎麦打ちの回数も年々減少して来ている。令和3年の今では年に数回しか打っていない、蕎麦打ちをやめようとは思わない大晦日には
家族そろって僕の打つ蕎麦を食べて一年を締めくくる楽しい時間です。
令和2年の大晦日の年越し蕎麦は次男坊と二人で打って皆に振舞いました。次男坊の蕎麦は僕が初めて打った蕎麦より数段美味しかった、何故美味しい
蕎麦を打てたのか・・・・そう僕が指導したからですハハハハハ 今年も次男坊と蕎麦打つのが待ちどうしいです。
蕎麦打ちの手順です
準備した蕎麦道具一式てす | こね鉢も大小揃えました | 奮発した蕎麦切り包丁です | 我が家は義母伝授の山芋蕎麦です |
丁寧に皮をむきます | はい剝き終わり | すりおろします | 粉を計量します |
ふるいにかけて | 粉をよく混ぜます | 適量の山芋を入れて | 水を適量いれて よくコネコネします |
十分に水が回ったので | くくりに入ります | くくりがおわって |
菊練りに.掛かります |
はい出来上がり | 円錐状にまとめて |
ひっくり返して空気抜き | 平たくまとめて |
掌で 丸く平たく伸ばします | のし棒を使って伸ばし ます素早く丁寧に丸く形を整えます | ||
出来上がり | のし棒を使って厚さを均等に伸ばし角出しまで行います | 後は畳んで切れば出来上がり |
完成しましたよ